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両国友好の歴史

1890
エルトゥールル号の海難事件

1887年の小松宮同妃両殿下のイスタンブルご訪問への答礼としてアブデュルハミト2世の命により、日本へ派遣されたオスマン帝国軍艦エルトゥールル号。明治天皇謁見などの職務を遂行して帰路についたが、台風に遭遇し、1890年9月16日に和歌山県串本町の大島樫野埼灯台下で座礁してしまう。地元の人々は必死の救援活動を行い、生存者69名は、翌年、日本軍艦の「金剛」「比叡」によって本国まで送り届けられた。581名の殉難将士は、今も串本の地で、やすらかに眠っている。

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遭難したエルトゥールル号。大型の木造蒸気船だった。

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エルトゥールル号と金剛・比叡の乗員

たち。

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当時のままの樫野埼の灯台。

遭難者が助けを求めてきた。

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船甲羅と呼ばれている難所として有名

なエルトゥールル号が遭難したところ。

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串本にあるエルトゥールル号弔魂碑。1937年に建立された。

1985

トルコ航空による在テヘラン日本人の救出

1985年3月のイラン・イラク戦争時に出されたイラク政府の無差別砲撃宣言。イランを脱出する術のない在イラン邦人のために飛んだのはトルコ航空特別機だった。トルコとイランで育まれた両国の友情と信頼関係、危険を顧みず「困っている人を助けたい」という勇気あるトルコ航空機の乗員たち。様々な力があわさり、約200名の日本人の救出が実現した。

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2006年の春、日本政府はビルセル元駐イラン大使を

はじめ救援関係者たちを叙勲した。

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テヘラン在留邦人を救ったトルコ航空機。

多くの日本人の命が救われた。

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イラン在留邦人救援機の機長にちなみ、下関市の

「火の山公園トルコチューリップ園」は「オルハン・スヨルジュ記念園」と命名された。 (2014年下関)

トルコにある日本との縁の場所

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アナトリア考古学研究所は日本のアナ

トリア考古学の調査・研究拠点

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アンカラの土日基金文化センターは1998年に開館した両国の交流拠点

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イスタンブルのバルタリマン日本庭園

は下関市が協力して2002年に造園さ

れた

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メルシンの「串本姉妹都市通り」は友

好のシンボル

日本にあるトルコとの縁の場所

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寒河江チェリーランドのトルコ館は姉

妹都市を象徴する建物

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2007年に開園した下関の火の山公園

トルコチューリップ園開園式

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「2015年にリニューアルした」串本のトルコ記念館。エルトゥールル号の貴重な資料の数々の展示

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砺波市にあるヤロヴァの泉

日本語と英語のバイリンガル受付デスク

受付時間:平日8:30~17:30

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